令和4年2月号 荻野皓一郎さん(株式会社三ヶ島製作所 取締役会長)
更新日:2022年1月27日
プロフィール
荻野皓一郎さん
(糀谷勤務)
70年前に三ケ島村にダイヤル式の電話線を引き、60年前にはヨーロッパ各国を毎年視察したりと、革新的発想を実行に移すバイタリティーの持ち主。
三ケ島を埼玉から世界へ広めた立役者。昨年100歳を迎えた記念にと、未来を担う子どもたちへふるさと応援寄付も。
100歳にして現役 「メイド・イン・ジャパン」の探究者
令和元年に創業70 周年を迎えた三ヶ島製作所。創業者にして現会長の荻おぎの野皓こういちろう一郎さんは昨年紀寿(100歳)を経てなお、工場内の現場を見て回ることを毎朝の日課とする経営者だ。
時を76年前に戻そう。「三ケ島村」だった今の三ケ島地区に、兵役を終えて帰ってきた荻野さんは、航空機部品の製造をしていた実家の工場が機械の製造もできず、従業員もひまを持て余している姿を目の当たりにした。
誰もが貧しい生活を強いられている中、どうにか従業員たちに仕事を与えられ、給料を支払えないかと苦心した荻野さんは、親戚が自転車店を営んでいたことがきっかけで自転車部品の製造を決意する。
作った自転車部品は、ひとりで工場から最寄りの狭山ヶ丘駅まで運び、電車で東京に出て、自転車で売り歩いた。物がない時代、作った部品は持っていけば売れたが、自転車部品のメーカーとしては後発だったため荻野さんはどうすれば東京の人に埼玉の小さな企業の製品を認知してもらえるかと思案を巡らせた。導き出した答えは、当時の自転車業界新聞に広告を載せるなどの宣伝費に使えるお金の全てをつぎ込むことだった。「足が知ってる優れた性能」というキャッチコピーも自ら考えた。
昭和32 年当時の新聞広告記事
「当時、広告や宣伝にお金を使うとは、なんて無駄なことをするんだと社内には否定的な意見もありました」しかし、信念を曲げず、「三ヶ島製作所」、「三ヶ島ペタル」の会社名、製品名のPRに労を惜しまなかった。
荻野さんが営業するのに、譲らなかったことが1つある。それは絶対に値引きをしないことだ。
「商売をやっていると、月末や年末は値引きしてでも手元に現金を置きたいという会社が多かったのですが、昨日と今日で製品の価格が違うなんて。そんな製品は信用されないですよ」と語る荻野さんの顔には、当時から変わらない経営者の信念が浮かぶ。
昭和30年台後半からは毎年自転車の本場であるヨーロッパへ視察に行き、数年後には、三ヶ島製作所の製品名の頭文字から、「ミスターMKS!」と現地で声をかけられるほど有名にもなった。「製品作りに手を抜いたら、すぐ製品に現れる。だからうちではいくら安く作れるとしても海外での生産はしない。製品には魂がないとダメだ」と実直に語る荻野さん。その製品は今日も人々の足となって世界中を駆け巡っている。(取材:坂本)
創業当時の三ヶ島べダル
製造現場を見守る日課は、日々の積み重ねの象徴
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