山口地区
狭山丘陵の間を西から東に柳瀬川が流れています。水の便のよいこの場所は古くから人が住み、中世には山口氏という武士が館を構えていました。
江戸時代には、勝楽寺、堀口、大鐘、新堀、川辺、菩提木、氷川、打越、町谷、山口堀之内、岩崎という11もの村が密集し、これらの村は明治8年に山口村、上山口村、勝楽寺村という3つの村にまとまりました。さらにこれらがひとつの「山口村」となるのは明治35年のことです。
その後昭和18年に所沢町などと合併し、「山口」「上山口」「勝楽寺」の名が大字として今に残りました。
- 勝楽寺の景観
- 山口貯水池の建設
- 山口小学校空撮
- 狭山湖駅
- 狭山湖畔の桜
- 上山口青年消防団器具置場
- 岩崎の坂
- 仏蔵院前の道
- 高橋の交差点
- 狭山湖底
- 山口城跡交差点
- 西武球場周辺
- 上山口中学校の建設
- 山口民俗資料館の開館
- 石灯籠
- おとぎ電車
- 椿峰
- 大鐘の水田
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