ほうじ茶プリン
更新日:2020年12月25日
ほうじ茶プリンの商品開発に、藤野さんと食品会社にご協力いただきました。
ほうじ茶のほのかな苦みと生クリームの甘味のバランスの良い、プリンが完成しました。
パッケージのデザインは、調理員と栄養教諭が考えた所沢オリジナルのものです。
お茶農家の藤野さんを紹介します。
下富でお茶を作っている藤野さんは、富士美園の7代目です。
富士美園は、大正年間に四代目藤野廣吉が茶業を始め、自園自製とし減農薬・減化学肥料の栽培を続けています。
茶畑の広さは、2ヘクタールで約東京ドーム半分くらいあります。
現在は、農福連携にも取り組み、藤野さんと奥様、障害のある方とともにおいしい狭山茶を栽培しています。
週2日4人の作業員が、草むしりや肥料をまき耕運機で耕す作業をしています。
また、室内の作業では、お茶の袋にシールを貼ったり、お茶を量って袋詰めをしたりしています。
お茶ができるまで
下富は、江戸元禄7年(1694) 川越藩主 柳沢吉保の命により、屋敷林・農地・雑木林が短冊型に並ぶ地割が特徴の三富新田が開拓された地域で、ここでとれるお茶は「三富狭山茶」というそうです。
三富のお茶は、元禄9年 川越藩主柳沢吉保が、多福寺を創始し洞天和尚を招いて、その境内へお茶を蒔いたのが始まりといわれています。
お茶を収穫するまでで、一番気を付けるのは「霜」です。
5月の収穫前、3から4月に「霜」が降りてしまうと、せっかく伸びてきた新芽が枯れてしまうことがあるため、『防霜ファン』を回して新芽を守ります。
お茶を摘むのは、5月に1回だけで、積み終わると次の5月に向けて草むしりや肥料をまいて耕運機で耕して手入れをします。
狭山茶
日本で茶が育てられるようになったのは、今から800年ぐらい前。お坊さんが中国から、茶の木の種を持ち帰ってきたことが、始まりと言われています。
そして、今の川越に茶の木を植えたのが、「狭山茶」の始まりです。
埼玉県でお茶の栽培が行われるようになったのは江戸時代の中頃からで、地域の特産物として普及していきました。
“色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす”といわれるとおり、深い味わいと甘くて濃厚なお茶です。
埼玉県の茶の主産地は、入間市、所沢市、狭山市を中心とする狭山丘陵地域です。
お茶の成分としては、発がん抑制作用・抗酸化作用・抗菌作用・虫歯予防などに効果があるカテキン、疲労回復や眠気除去に効果のあるカフェイン、風邪予防にビタミンC、ビタミンB群など成分が含まれています。
藤野さんから子どもたちにメッセージ
急須離れで、お茶を入れる機会が減っていているので、いろいろ形でお茶食べてもらい、急須で入れるお茶に興味関心を持ってほしいです。
緑茶・ほうじ茶のおいしさを知ってほしいです。
ほうじ茶プリンを取材していただきました!
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