旗本花井氏の墓
更新日:2015年2月19日
「旗本花井氏の墓」は、慶長8年(1603年)に北野村に3百石の知行地を与えられた花井吉高の子、花井庄五郎吉政の墓であり、墓の施主は、吉高の養子となり吉政に代って江戸に仕えた花井庄右衛門吉久です。
『寛政重修諸家譜』には、吉政は「多病によりて家督たらず」と記されています。また、「御地頭花井庄右衛門様系図写」(『所沢市史・近世史料1』所収)によると、吉政は病弱のため江戸出仕もままならず、知行地の北野村にあったことが知られます。吉政は、同村の名主であった助右衛門の娘を妻として男子をもうけましたが、万治元年(1658年)9月27日に病死しました。花井家の旗本としての勤仕は、吉高の女子が旗本浅井七平元吉の三男を養子として花井家を継嗣します。これが施主の庄右衛門吉久です。以後、花井氏は幕末まで北野村を知行しました。
なお、花井吉高は、寛永16年(1639年)11月4日に病没し、四ツ谷の勝興寺に葬られます。以後、花井氏代々の葬地は勝興寺とされましたが、吉政は菩提寺の勝興寺には葬られず、在地の無量寺を葬地としました。
【指定年月日】平成25年8月1日
【所在地】所沢市小手指南五丁目18番地の13(無量寺墓地内)
旗本花井氏の墓
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